『絶望の底で夢を見る』感想 著者 石井光太|平穏な生活は当たり前でなく

こんにちは。

はるき ゆかです。

 

昨日の夜、石井光太著「絶望の底で夢を見る」を読み終わりました。

身につまされる物語ばかりです。

今、普通に生きていられることは当たり前ではないと感じました。

愛の渇望

ステンドグラスの少女

全身にタトゥーを入れたり、おびただしい数のピアスを開けたりすることは、ある意味、人によっては自傷行為のひとつと言えるのかもしれません。

父親や交際相手からのDVを受け、ただ普通に愛されたいだけなのに傷つけられ続ける少女。

「見捨てないで」とつぶやく言葉が悲しい。

屋敷のたに江

ゴミ屋敷に住み続ける精神を病んだ中年女性・たに江。

それでも、生活の手助けをしてくれる人がいないのは気の毒だとしか言えません。

 

二人の女性を救うことは、誰にもできないのかもしれませんが、奇異な目で見ることだけは避けなければと感じました。

自ら命を絶つ日

樹海の陽だまり

青木ヶ原の樹海は、言わずと知れた自殺の名所です。

深い森の中で人知れず自ら命を絶つ人々の本当の気持ちは、誰かに見つけてもらいたいということです。

そして、亡くなるときくらいは日の当たる場所を選ぶということを知って、いたたまれない気持ちになりました。

自殺願望のある人は、心の病を患っている場合が多いようですが、何よりも大切なのは「普通の家族の愛情」だと思います。

しかし、その「普通の愛情」にさえ恵まれない人もいます。

死ぬ日はいつですか

70歳過ぎの生活保護受給者の老人は、孤独でした。

著者がこの老人・木下さんに「自殺するとしたら、いつにするか?」と聞かれ、答えに窮します。

それは、死ぬことを前提に生きているからではないからでしょう。

世の中には、まず自ら命を絶つことを前提にただ生きている人がいるのだということを本書で知りました。

自ら命を絶つ人は、誕生日に亡くなることが多いようです。

家族や友人にお祝いをしてもらう日は、さらに孤独が募るということでしょうか。

 

誰にも辛いことや悲しいこと、やりきれないことがあり、それを乗り越えて生きていきます。

しかし、それが出来るのは「孤独」ではないからなのだと思います。

亡き人のための結婚式

婚礼人形

東北地方に伝わる伝統的な風習に、婚礼人形というものがあります。

幼くして亡くなったり、結婚前に亡くなった人に「死後婚」をさせてあげるために、人形を夫や妻として奉納するというものです。

一見、不思議に思える風習ですが、子供を亡くした親の心を慰めることができる大切な風習なのかもしれません。

ムカサリ絵馬

山形県にも、婚礼人形のような思いで、結婚前に亡くなった子供をあの世で結婚させてあげようと絵馬に婚礼の様子を描いて奉納する「ムカサリ絵馬」という風習があります。

「ムカサリ絵馬」が多く奉納されるようになったのは、太平洋戦争後のことだそうです。

十代、二十代の未婚の男性が多く戦死しているからでしょう。

「ムカサリ絵馬」には専門の絵師がいます。

「婚礼人形」や「ムカサリ絵馬」は、奉納することは悲しいことではありますが、未婚のまま亡くなった子供を思う親の気持ちを慰めるものになるのだと思います。

そして、「ムカサリ絵馬」の絵師の方々のあたたかい気持ちに感動します。

ある家の幻

冬に飛ぶ蠅

この物語は、著者のお祖父さまの心があたたかくなるエピソードです。

本書の中では、唯一の心がほっこりする物語と言えると思います。

著者のお祖父さまは、特攻隊の生き残りでのちに自衛隊にも入隊されます。

飛行機で空を飛ぶことが大好きだったそうです。

私は霊の存在を信じているので…葬儀での蠅の話、信じます。

夜光の川

著者の少年時代のエピソードです。

クラスに山村君という少年がいて、彼は不潔で虚言癖があり、友達もいませんでした。

ある日、山村君が一人の少女に川辺で何かを教えていて、それは「憑霊」でした。

東北のイタコのようなものなのでしょうか。

少女には亡くなった父親がいて、山村君は、その父親と話ができるように「憑霊」を教えているのだというのですが…。

 

大切な人が亡くなってしまうと、その人と話したい、接点を持ちたいと思うのは自然なことです。

どちらのエピソードも、真実かどうかというより亡き人を思う気持ちに胸が熱くなります。

愛と哀しみの病

ポニーの指輪

HIVに感染した夫婦とその愛犬の物語。

幸せな結婚生活を送っていた美香子さんは、体調を崩したことをきっかけにHIV検査を受けます。

結果は、陽性でした。

夫の良治さんにも感染している可能性があり、ためらいながらも夫に告白したことで、夫婦に亀裂が。

良治さんも感染していたのです。

その二人の仲を取り持ってくれたのが、愛犬のポニーでした。

梅田、午前二時

淳平は、体に男女どちらの体の特徴も有する両性具有者(インターセクシャル)です。

淳平は幼い頃から、体つきはほぼ女性のものでした。

しかし、淳平の母親は淳平を男性として育てて行くことを決断します。

男性ホルモンの注射を打ち続けて、女性化を止めようとします。

ホルモン注射は月に15万円。

離婚した母には到底出せる金額ではなかったため、淳平はそのお金を工面しようとしているうちにHIVに感染して…。

 

どちらも、HIV感染者の物語です。

「ポニーの指輪」は、愛犬のおかげで幸せを取り戻した夫婦の話ですが、淳平は人生を諦めてしまっています。

しかし、淳平は特別な自分の体に群がる人々のことを悪く言う記事を書かないでほしいと著者に漏らします。

インターセクシャルとして生まれてしまったことは淳平の人生の苦しみの原因でしたが、だからこそ、彼は誰よりも人の苦しみを理解できる人にもなれたのだと思いました。

隔離者の告白

祭りの陰

浅草「雷門」のお祭りでは、かつてハンセン病患者が物乞いをしていたといいます。

今では良い薬が開発され、ハンセン病は治る病気になりましたが、1907年当時、ハンセン病に罹った人は、激しい差別に遭い、療養施設に隔離されていました。

しかし、ハンセン病患者の中にもたくましく生きていた人々もいて、差別を逆手に取って祭りの時期には大金を稼いでいた人もいたようです。

四国遍路

香川県には、大島青松園というハンセン病患者の療養所がありました。

四国には八十八カ所の霊場を巡る遍路があり、全て回り終えると願いが叶うと言われています。

その中には、ハンセン病患者も多くいたようです。

深い森の中に、遍路が回る道とは別にハンセン病患者が歩く「カッタイ道」と呼ばれるものがあり、病気の治癒を願って霊場を巡る人がいました。

ハンセン病患者の人々は、子供を作ることを禁止され、療養所にいれば最低限の生活はできましたが、待遇はよいものではなかったようです。

 

ハンセン病の人々の苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあります。

辛い病気に苦しみ、差別に苦しんでいた人々が病気治癒のために辛い体を引きずりながら遍路の旅をするのはどれほど厳しいものだったか…。

胸が痛みます。

 

以下の記事で、ハンセン病患者であった女性の物語「あん」について感想を書いています。

よろしければ、併せてご覧になってみてください。

【関連記事】

塩どら焼きは完成するー『あん』感想 著者ドリアン助川

最後に抱いて

バイク事故で膝から下に障害を負った40代半ばの好子さんと、10代で不治の病に罹った涼子さんが、最後に男性との関係を望む物語です。

正直に言うと、私には理解しがたいものでした。

涼子さんは、男性とお付き合いすることもなく亡くなってしまったので、男性へのあこがれがある気持ちはわかりますが、好子さんの気持ちは…。

愛情がない相手に対してもそういった気持ちになるものなのでしょうか。

もちろん、私は障害者ではないので、だからわからないんだと言われればそれまでですが。

津波に遺されて

妻として

東日本大震災で夫を津波で失った妻の物語です。

消防団の幹部だった佐々木さんは、津波が起きたときに水門を閉めに行ったことで命を落とした街の英雄だと言われています。

しかし、佐々木さんの奥さんにはどうしてもそうだとは思えず…。

夫として

本書の著者の石井光太氏が、Twitterで東日本大震災の被災者の方のあるブログを紹介していました。

そのブログは管理人だけでなく、他の被災者の手記も載せられており、それを読んだ女性編集者が、石井氏に連絡をしてきました。

ある一人の男性の手記で、亡くした妻へのブログなのですが、なぜそこまで妻へ美しい言葉をかけられるのか疑問だというのです。

石井氏が取材をはじめると、意外な理由がわかってきて…。

 

自然災害で家族を突然失うことの喪失感は、どれほど辛いことなのでしょう。

本当の気持ちを知ることはもうできませんし、心残りもあると思います。

あまりにも大きな被害を受けた東日本大震災。

この2つ以外にも多くの悲しい現実があったことは、容易に想像できることです。

最後に

石井光太著「絶望の底で夢を見る」の感想でした。

一つ一つは、短いエピソードなのですが、胸が痛くなるものばかりでした。

生きて行くことは難しく、当たり前の幸せなどないということを改めて感じました。