『消された一家』感想 著者 豊田正義|北九州連続監禁殺人事件

こんにちは。

はるき ゆかです。

昨日の夜、豊田正義著『「消された一家」北九州・連続監禁殺人事件』読み終わりました。

あなたは平成14年に発生したこの事件についてご存じでしょうか。

日本犯罪史上類を見ない残虐非道な事件です。

事件のあらまし

人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶつけさせることにより相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。

犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と被告人男女を厳しく非難した。

2011年12月、最高裁判所によって主犯Xの死刑と共犯Yの無期懲役が確定した。

非情な残虐性・悪質性にもかかわらず、事件に報道規制がかけられたとされ、事件の知名度は高くない。

当初は地元の報道機関を中心に報道をしていたが、途中から報道機関が自主規制して報道量が少なくなり、全国の報道機関での集中報道に結びつかなかったといわれている。

報道量が少なくなった理由としては「あまりにも残酷な事件内容のため表現方法が極めて難しいこと」「家族同士が殺しあった事件の性格から被害者遺族がメディアに積極露出をして被害を訴えづらいこと」があるとされている。
[引用元]Wikipedia「北九州監禁殺人事件・概要」

以上が、Wikipediaからの事件の概要の引用です。

これを読むだけでも、どれだけ怖ろしい事件だったかがわかります。

この事件については、確かにあまり多くの報道がなされていなかった気がしますが、こういうことだったとは…。

そんな日本犯罪史上まれにみる凶悪事件の全貌が、本書には記されています。

そして、誰もが緒方家の人々のように、松永太のような男に出会う可能性があるということです。

正直、事件のあまりの残酷さに、本書を読み進めることは精神的に厳しいものがありました。

しかし、現実に目をそらさず、感想を書いてみたいと思います。

事実は小説より奇なり

本書は、北九州市小倉で実際に起こった事件のノンフィクションです。

七人の一家が殺害され、一人の少女がある日警察に保護されるまで、一切明るみに出ることはありませんでした。

少女が逃亡することができなければ、あとどのくらいの人の命が奪われていたかと思うと、本当に恐ろしい事件です。

地元の名士として厳格な中にも、真っ当な人生を歩んでいた緒方家の人々が、何故このような事件に巻き込まれてしまったのか。

それは、緒方家の長女・純子に高校の同窓生である松永太からかかってきた「借りていた50円を返したい」という奇妙な一本の電話から始まりました。

その後、二人は内縁関係の夫婦となり、純子の一家全員を巻き込んでいきます。

この事件は、大きな事件ではありましたが、あまりの残虐非道さで報道機関が報道を自主規制したほどでした。

本書には、その事件が詳細に記されています。

穏やかに暮らしていた名門一家が、なぜお互いを殺害し合うようなことになってしまったのか…。

小説だったら、あまりにもありえない状況でリアリティに欠ける気がしますが、これは実際に起こった事件なのです。

まさに「事実は小説より奇なり」です。

拷問とマインドコントロール

本書には、松永太がその巧みな弁舌で、実際に緒方家の人々を自身の手を汚すことなくお互いを殺害し合う方向に持っていくやり方は、読んでいて恐ろしいと感じるのはもちろんですが、なぜこんなことになってしまうのだろう?という疑問しかありません。

しかし、人は誰もが実は経験していることなのかもしれません。

ブラック企業で働いていた人が精神を病んでしまったり、最悪の場合は自らの命を絶ってしまうことがありますが、外から見ていると「死ぬくらいなら会社を辞めればいいのに」と単純に考えます。

しかし、精神的に追い詰められると冷静な判断ができなくなるということがこういった出来事からもわかります。

マインドコントロール。

さらには、オウム関連事件、尼崎事件然りです。

以前、TVで見たことがあるのですが、ナチスの強制収容所では、捕虜となったユダヤ人の方たちがお互いの行動を監視し合い、それを看守に密告し合うという現実があったというのです。

このようなことからも、人は肉体的な苦痛を与えられると、精神的に追い詰められていくものだというのを痛感します。

モンスター

本書の中では、裁判でのやりとりも詳細に書かれています。

主犯の松永太は証言中、傍聴席にいるマスコミや傍聴人を笑いの渦に巻き込むほど巧みな話術を持っていたといいます。

そして、そのあと「こんな殺人鬼の話に笑ってしまった…」と人々を自己嫌悪に陥らせるということがあったようです。

怖ろしい事件を起こしたとわかっていても、笑ってしまうほど口が達者なら、世間知らずのお嬢様で育った緒方純子を騙すことなど朝飯前だったはずです。

結局、松永は最高裁で死刑判決が出たのですが、未だその本心は明かされていません。

嘘に嘘を重ねて、その嘘が松永という男の中では「事実」となってしまっているのでしょう。

著者は、松永のこの底なしの心の闇が解明されることなく、処刑されてしまうことを残念に感じているとのことです。

おそらく、自らは一切手を下さず、言葉巧みに誘導してお互いを殺害し合うというのは、小心であるが故だと、私も感じます。

私の周りにも、殺人こそ犯してはいませんが、そういう人が何人かいました。

TV東京の「やりすぎ都市伝説」という番組で、千原ジュニアさんがこの事件についてお話をされていたのですが、裁判中に松永が大爆笑をとっていて、道の選び方次第では大物芸人になっていたのではないかと言われていました。

千原ジュニアさんほどの芸人さんがそう思われるのであれば、もしかしたらそうなのかもしれませんが、私はそうは思いません。

松永が、エンターテイメントのプロであるお笑い芸人になどなれるとは思いません。

本書を読む限り、私には彼は、ただの「金の亡者のモンスター」にしか見えません。

共犯者であり被害者

本書で特に強調されていたのは、DV被害者の心理状態についてです。

共犯者とされる緒方純子は、一審では死刑判決を受けていますが、最高裁では無期懲役の判決が出ています。

それは、緒方純子が松永からどれほどのDVを受けていたかを審理した結果の判決だと思います。

私がとても切なく感じたのは、「刑務所での生活は、今までの20年間の生活よりもずっと快適で自由だ」という緒方純子の言葉です。

本書を読んでいただければわかりますが、緒方純子は何度か逃亡しているのですが、そのあとの拷問は筆舌に尽くしがたいほど壮絶なものです。

本書の著者の豊田正義氏は緒方純子の支援者として、何度か面会もされているようですが、そのときの緒方純子の様子を読んでいると、同じ女性としてホッとした気持ちになりました。

共犯者で実行犯であると同時に、彼女は確実に被害者でもあるのだと感じました。

最後に

『「消された一家」北九州・連続監禁殺人事件』の感想でした。

いつ、誰にも、松永太のような人間に出会ってしまう可能性があります。

礼儀正しく愛想のいい仮面をかぶったモンスター。

そして、一度捕まってしまったら、そのモンスターから逃れることは至難です。

この事件を元に映画が作られています。

園子温監督「愛なき森で叫べ」です。

私は観ていないのですが、見るのがものすごく怖いです…。