こんにちは。
はるき ゆかです。
昨日、角田光代著「対岸の彼女」読み終わりました。
女子なら響く小説だと思います。
私自身も、あれだけ仲良くしていた高校時代の友人の何人かは、疎遠というか音信不通になってしまっていることに、本書を読んで改めて気がつきました…。
対岸の彼女 あらすじ
主人公は、専業主婦の小夜子と女社長の葵。小夜子には、一人娘のあかりという3歳の子供がいます。
そして、どちらかというと内向的な性格の小夜子は、公園デビューに失敗。
ある日、小夜子は働こうと決心します。求人誌を買いあさり、やっと採用されたのが葵の経営する小さな旅行社でした。二人は同い年で大学も同じ。
しかし、小夜子の仕事は旅行社の仕事ではなく、ハウスクリーニングの仕事でした。
今は、破天荒な女社長の葵ですが、高校時代はどちらかというと小夜子に似た女子高生でした。過去の葵と現在の葵が、同一人物とは思えません。
葵には、高校時代、魚子(ナナコ)という親友がいましたが、あることがきっかけで音信不通になってしまい…。
どうしてもつるんでしまう女子たち
本書は、ハッピーエンドです。
とても爽快な読後感です。
葵の会社の社名「プラチナプラネット」にもある思いが込められています。
女性独特の「グループ」や次々とターゲットを変えて行われる「いじめ」「仲間外れ」「無視」「陰口」…などが描かれているのですが、ラストは前向きで清々しさたっぷりです。
正直、物語の結末は、私にとってはとても意外でした。
最後は、結局、結婚している女性、していない女性、仕事をしている女性、専業主婦は、それぞれお互いに理解し合えない…という結末なのだとばかり思っていましたから。
いい意味で裏切られた結末です。
そして、258ページで大号泣でした。
角田光代さんの小説は、まだ2冊目で、この「対岸の彼女」も買ってしばらく積読本になっていたのですが、何でもっと早く読まなかったんだ!と後悔するほど、素晴らしい作品でした。
特に、女子の「グループ」への違和感を感じている女性には、とても刺さると思います。
そんなあなたに、ぜひおすすめの一冊です。
いつも一緒みんな一緒
高校時代までは、私も本書に出てくる女子中高生のように、グループに「所属」していました。
本書でも描かれていますが、トイレに行くときも一緒…みたいな。
トイレぐらい一人で行くよというと、「ええー?!ゆかちゃん、おかしいよ」と言われたり。
そして、高校までは「あの子と口聞いちゃだめよ」とクラスのボス的な女子に言われたりして、「へ?」と思いながらも、自分から話しかけることはしない…ということはやっていました。
今思えば、自分には何も悪いことをしていない人なのに、「口聞くな」と言われて普通に納得するってどういうことなんだと思いますが…。
しかし、話しかけられるとどうしても無視することが出来なくて、しゃべってしまう私でしたが、後からボスに「口聞くなって言ってるでしょ!」とか言われて怒られました。
私も「ごめん」なんて謝ったりして。
卒業して5年後くらいの同窓会で、無視されていた子に「ゆかちゃんだけは無視しなかったからうれしかった」と泣きながら言われました。
違うんだ…。
私は、ただ無視することができなかっただけで、「口聞くな」と言われたことに反論は出来てなかったんだよ…。
彼女がクラスの女子に無視されていたのは、「きつい言い方をする」という理由でしたが、本当は「美人だから」です。
「美人だから彼女にとっては普通のことを言ってた」だけです。
さらに、クラスで一番人気の男子に「女子は、くだらないことするなー」と言われたりして、ボスはさらにヒートアップしていったのでした。
本当にくだらない。
今となってはそう思えますが、あの頃はみんな、自分もあの子みたいになりたくなくて必死でした。
しかし、女子の「グループ」というものは大人になってからも、どこまでも続くのです。
会社の同僚、ママ友。
結婚してる人、してない人、子供がいる人、いない人。
何かひとつのことがきっかけで、関係がすぐにぎくしゃくしてしまう。
価値観の合う人同士で仲良くするというより、「価値観が合わないことが同じ」人同士で仲良くなっているのです。
例えば、「子供を預けてまで仕事する人なんて母親失格」と、誰かのことを非難している人同士が仲良くなる…というような。
お互いを〇〇ちゃんママと呼び合うママ友。
ママ友でも、仕事をしてる人、してない人でまたグループが違ってくる。
よく聞くのは、「ママ友は卒園するまでの間、我慢すればいいだけだから」
私は結婚もしていないし、子供もいないので、ママ友はもちろんいませんし、小夜子と葵、葵と魚子(ナナコ)のような関係で、今もずっと付き合っている友人はいます。
しかし、高校時代のグループのまま今も仲が良いかと聞かれるとNOです。
あんなにずっと一緒にいたのに…。
不思議ですね。
幸い、大学に入ってからは、女子高出身の子たちはグループを作っていましたが、私はそういうのはなしでした。
社会に出てからも、いっしょにお昼を食べる人も決めていなかったので、陰口は叩かれていたようですが…w
でも、社会人になったら、友達ではなく同僚。
会社は仲良しクラブじゃない…と男性の先輩に言われたことが腑に落ちたので、何も怖くなくなりました。
あの頃は、何でひとりになることをあんなに怖がっていたんだろう。
わかりあえる瞬間
本書で描かれている葵と魚子、葵と小夜子のように、わかりあえる瞬間をつかめた人をうらやましいと思います。
何かを手に入れた人と手に入れられていない人は、手に入れた人から見下げられるものなのかもしれません。
私も、高校時代にいつも一緒だった子は、結婚して家庭を持ち子供が出来た頃から、私のことを「かわいそう」だと言っていました。
「仕事ばかりで結婚も出来なくて子供もいない可哀想な人」
だけど、私は彼女のことを「自由がなくて可哀想な人」とは思っていません。
持っている人が持っているものを失うのは怖いことだけど、何ももっていない人は何も怖くはないのです。
もう、彼女は完全に対岸の人で、こちらに渡ってくることも、私が渡ることもないのだなと思います。
対岸の彼女 最後に
角田光代さんの情景描写は、本当に素晴らしく、目の前に流れる川や光の情景が目の前に広がります。
ストーリーも勿論素晴らしいですが、それは、自分自身が葵や魚子、小夜子と一緒にそこにいるような錯覚さえ起こさせてくれます。
もう一度言います。
おすすめです。
以下の記事で、角田光代著「さがしもの」についても感想を書いています。
よろしければ合わせてご覧になってみてください。
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