『愛がなんだ』感想 著者 角田光代|私と彼の思いの割合

こんにちは。

はるき ゆかです。

 

一昨日、角田光代著「愛がなんだ」読み終わりました。

恋をする思いの割合は、5:5ではありえない。

だから、テルコの素直で一途な思いが、私はとてもうらやましくも思えるのです。

「愛がなんだ」あらすじ

「私はただ、ずっと彼のそばにはりついていたいのだ」ーーOLのテルコはマモちゃんに出会って恋に落ちた。彼からの電話があれば仕事中でも携帯で長話、食事に誘われればさっさと退社。すべてがマモちゃん最優先で、会社もクビになる寸前。だが、彼はテルコのことが好きじゃないのだ。テルコの片思いは更にエスカレートしていき……。直木賞受賞作家が濃密な筆致で綴る、〈全力疾走〉片思い小説!

[引用元]角川文庫「愛がなんだ」裏表紙より

究極の片思い小説。

テルコは何が何でもマモちゃんの側にいたいのだ。

思いの割合

人の恋する気持ちは、5:5ではありえないと思います。

途中で変遷することはあっても、いつもどちらかの思いが強くなるのが恋愛。

 

テルコほどではないにしろ、私も同じような恋愛をしたことが一度だけあります。

なぜ、そこまで好きだったんだろうと今となっては不思議でたまりません。

テルコのように、仕事をさぼったり、いつも携帯電話を手放せばなせなかったり…ということはありませんでしたが、女友達との約束はほとんど断っていました。

いつ彼から連絡があるかわからないからです。

私の場合は、同じ会社に勤めていたので、どのくらいに仕事が終わるか、会社の飲み会がいつあるかなどはわかっていたからというのもあるかもしれません。

それに、テルコほど一途ではなかったかもしれません。

 

しかし、いつもいつも思われる側である人は、こんな恋を経験することはないでしょう。

恋をするなら、自分が優位に立っていたい、そんな打算的な考え方が出来る人には…。

テルコにとってのマモちゃん、ナカハラにとっての葉子。

その巡り合わせが、二人の立場をそうさせているだけだと思います。

 

さらに私は、いつも自分を優位に立たせる恋愛をする人は、ある意味、本当の恋を知らない人だという気もするのです。

ただ、「好きだから側にいたい」…それが人生のたったひとつの目標となってしまう。

あなたは、今までそんな恋をしたことがありますか。

都合のいい女でもなんでもいい

テルコは、友人の葉子や高校時代の友人にも、「それじゃあただの都合のいい女」だと言われても、そんなことはどうでもいいのでした。

テルコは、都合がいいなら都合が悪い女よりずっといいと思っています。

 

テルコの高校時代の友人のように「すぐに迎えに来させる」という考え方って、恋と呼べるのでしょうか。

 

しかし、ある日、マモちゃんにもテルコとは別に好きな女性が現れます。

芯がしっかりしていて、自由で、誰にも振り回されないすみれさんです。

そして、すみれさんはマモちゃんのことを好きではないのです。

とかく、この世はうまくいかないものです。

 

しかし、恋愛ってこういうものだと思います。

愛し愛されているあなた、それはとても貴重で幸運なことだと自覚するべきだと思います。

しかし、それももしかしたら幻想かもしれない。

そういう風に相手に持っていかれているだけなのかもしれないのです。

 

本書の中では、テルコの友人の葉子の「都合のいい男」ナカハラくんは、テルコと同じ種類の人間だと自分のことを思っていますが、相手が変われば立場もかわるということなのだと私は思います。

それは、マモちゃんとすみれさんの関係を見ればわかります。

さらに、恋愛は見た目の美醜とは関係ないのです。

見た目だけの恋なら、それはもっと簡単なのですが。

 

私自身も、テルコに近い恋をしていた頃、女友達の「相談したことがあるから会いたい」という言葉にも、耳を貸すことすらできませんでした。

でも、その頃は、それが普通だと思っていたのです。

今となっては、不思議で仕方がないのですが…。

 

恋愛はある意味、病です。

熱病に浮かされているのです。

正気の沙汰ではないのです。

テルコのようにどんな手を使ってでもただ大好きなマモちゃんの側にいたい…というほど強い気持ちになれることは、一生のうちにそう何度もあるわけではないと思います。

そして、そんな恋愛をできるテルコが、私はとてもうらやましい。

 

しかし、私自身は、その恋に破れたとき、その反動でその人のことが世界で一番大嫌いになりました。

もともと私は、恋愛は人生の中でそれほど重要なものではないと思っていました。

そして、ある日突然それを思い出したので、その反動が大きかったのだと思います。

恋する気持ちが憎悪に変わるという、怖ろしいほどの反動です。

あのときの時間を返してほしいと今となっては思っています。

 

テルコも、いつかそう思う日が来るのでしょうか。

 

ラストの一行は、背筋が凍り付きました。

それは、ご自身で読んでみていただければわかります。

今はそういうのを「ストーカー」というのかもしれませんが、テルコはもうそんなことはどうでもいいのだと思います。

最後に

角田光代著「愛がなんだ」の感想でした。

誰もが恋愛では、自分が優位に立ちたいと思うものです。

恋愛において、お互いがお互いを同じくらい思い合うことなどできないことはある程度の年齢になればわかってくることです。

だからこそ、テルコを可哀想だとかみじめだとは、私にはどうしても思えないのです。