モーパッサン「女の一生」|いつ読むかで感想が大きく変わる

あなたは、フランスの文豪モーパッサンの「女の一生」を読んだことがありますか?

フランスでは映画化され、日本でも舞台を日本に移し、映画化、ドラマ化もされた名作です。

モーパッサン「女の一生」 あらすじ

修道院を出て両親と共にレ・プープルの屋敷で暮らし始めた17歳の少女ジャンヌは、美しく素晴らしい人生が自分の前にあると心躍らせ、美青年ジュリアン子爵と結婚する。だが結婚すると夫はジャンヌに対する愛情を無くし、金に執着するようになる。夫はジャンヌの乳姉妹のロザリや、友人のフルヴィル伯爵の妻とも関係を持ち、さらにジャンヌの母もかつて父の友人と不倫関係にあったことを知り、ジャンヌは人生に対する希望を失っていく。妻の不倫を知ったフルヴィル伯爵は、ジュリアンと伯爵夫人が逢瀬している移動小屋を斜面から突き落とし、二人は死ぬ。

未亡人になったジャンヌは息子ポールを溺愛するが、ポールは外国で女と暮らし、金の無心にしか手紙をよこさなくなる。両親も死に、ひとりきりになったジャンヌの元に、屋敷を追い出されたロザリが戻ってくる。ロザリの助力でジャンヌは財産を整理し、屋敷を売って小さい家に移り住む。やがて、ポールから、恋人が子供を産んで死にそうだと手紙が来る。ロザリはポールの元に行き、女の子の赤ん坊を連れて戻り、明日ポールも帰ってくるとジャンヌに告げる。

[引用元] Wikipediaモーパッサン「女の一生」あらすじ

高校生・大学生・25歳

私はこの作品を今まで3回読んでいます。

初めて読んだのは高校生のときでした。

そして、大学に入ってから、そして社会人になってからの25歳くらいのときにも読みました。

高校生のときの私の感想

あんなに幸せな未来を思い描いていたジャンヌを、とてもかわいそうに感じました。

結婚する相手で女性の人生は、全く変わってしまうと、とても怖くなりました。

将来、何があっても自立できるように、頑張って勉強しようと思いました。

大学生のときの私の感想

私は絶対にこんな生き方はしたくないと思いました。

時代背景もあるでしょうが、ジャンヌはあまりにも自分というものがなさすぎると思いました。

いつも誰かに頼らなければ生きていけないなんて、ジャンヌ自身の考えが甘いのだと思っていました。

夫に失望しながらも離れられず、夫が不倫の果てに死んでしまったら、今度は息子に依存するジャンヌに、とてもイライラしました。

このときに読んだ感想が、一番過激だったと思いますw

25歳のときの私の感想

こういうことは、きっとよくある「女の一生」なのではないかと思いました。

この時代の女性は、おそらくこんな風にしか生きていけないのだろうから、仕方がないのかもしれないな…と。

しかし、今の時代はそうではないはずなのに、やはりこのタイプの女性は今でも存在します。

私は、ジャンヌのようにならないように、しっかり自立して生きていきたいと偉そうなことを考えていました。

そして、ロザリは、カッコいいなと思った記憶があります。

感想が大きく変わる

一冊の本で、これほど、読む時期、年齢で感想が違ってくる小説も、他にないと思います。

一人の女性として生きていく上で、いろんなことを経験し、「女の一生」と抽象的なタイトルをつけたこの小説に感じることが変化していくのは不思議なことではないのかもしれません。

近々、再読して見ようと思うのですが、おそらく、25歳のときよりさらに「諦め」みたいなものを感じそうな気がします。

それとも、もっと違う何かを感じることが出来るのでしょうか。

 

同じ本を、長い期間にわたって再読し続けるとこういった楽しみも出てきます。

前に読んだときには気づかなかったことに気づいたり、前に読んだときには深く考えさせられたのに今回はすーっと通り過ぎてしまったりすることもあります。

私自身の人生の中で、「こんなことは当たり前」と感じることが、経験値として増えていくからでしょう。

そういった意味でも、いつどんな本に出会うかで、大きな意味で人生への影響の大きさが変わって来ると言えます。

最後に

モーパッサンの「女の一生」を、いつ読むかで感想が大きく変化することについて書いてみました。

これだから、本の再読はやめられないです。

「女の一生」は、女性なら、一生のうちで一度は読んでみられることをおすすめします。