こんにちは。
はるき ゆかです。
一昨日、「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」読み終わりました。
2008年6月に起こった「秋葉原事件」は、今も鮮明に記憶に残っています。
この身勝手な無差別殺人事件に、一部の若者の共感を呼んだこともあり、この事件については忘れることが出来ません。
「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」 あらすじ
2008年6月、秋葉原で死傷者17名を出す無差別殺傷事件が発生。「派遣切り」「ネット掲示板」という事件にまつわる言葉と、加害者・加藤智大に対する高い共感が衝撃を与えた。彼の人生を追うことで、日本人が対峙するべき現代社会の病巣を暴くノンフィクション。
[引用元]朝日文庫 「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」裏表紙
頭が良く仕事も出来た加藤死刑囚
私が初めてこの事件について知ったのは、TVのニュース番組でした。
自動車工場の派遣社員で、地味で真面目な青年が派遣切りにあって、自暴自棄になって起こした無差別殺人事件…という報道でした。
警察に確保されたときのニュース映像の加藤智大の姿は弱々しく、本当にこの人がそんな無差別大量殺人を犯したのか…信じられない気持ちでした。
そして、事件についてそれ以上の知識も思いもありませんでした。
本書を読むまでは。
加藤智大は、中学生まではとても成績が良く、青森県の名門・青森高校に進学しています。
青森高校と言えば、文豪・太宰治の母校でもあります。
しかし、彼は、高校に入学すると勉強のやる気をなくし、成績は最下位争いをしていたようです。
とはいえ、実際に、彼自身が受験をして青森高校に合格しているのですから、とても頭のいい人だということがわかります。
加藤の母親も青森高校の卒業生で、母の希望で彼は青森高校に進学したようです。
さらに母親は、加藤に北海道大学に進学してほしいと思っていたようです。
しかし、中学生まではトップクラスの成績でも、高校から名門校に入学すると、思うように成績が上がらないのはよく聞く話です。
加藤は、北海道大学へ進学することは叶わず、中日本自動車短期大学に入学します。
子供の頃から車が好きで、自動車関連の仕事に就きたいという希望を持っていました。
このまま、自動車に関する資格を取得し、好きな車関係の仕事に就くことが出来れていれば、おそらくこのような日本犯罪史に残るような大事件を起こすこともなかったのではないかと思います。
しかし、加藤は資格取得をしなかったのです。
勝ち組・負け組
「勝ち組」「負け組」という言葉は、今では普通によく使われる言葉です。
私は、この言葉があまり好きではありませんし、「負け組」で何が悪いんだと思います。
それに、「勝ち組」というのは一体何を指して「勝ち」というのか。
しかし、加藤智大は、自分を「負け組」だと思い込んでいます。
本書の中で紹介されている加藤は、完全な「負け組」のようには決して見えません。
「負け組」と言われる方向に、自分から仕向けていたのではないかと思うほど、大人になってからの彼の人生は悪いものではなかったと思います。
元々能力のある加藤は、アルバイトから正社員に登用されていますが、驚くような安易な理由で辞めてしまいます。
また、加藤は、子供の頃からの友人にも恵まれ、会社での人間関係も特に悪いものではありません。
さらに、いろんなことを相談できる年上の同僚・藤川氏(仮名)もいます。
藤川氏は、加藤のことを思って優しくアドバイスをしてくれたり、時には本気で叱ってくれたりするのです。
加藤が自分のことを「負け組」だと思っていたのは、「彼女が出来ない」ことだったのかもしれません。
彼は女性にモテるかモテないか、彼女がいるかいないかに、とてもこだわっていたようです。
20代の男性なら、彼女が欲しくて当たり前だと思いますが、彼は女性との関りが全くなかったわけではありません。
加藤は、自分のことを「不細工」だと掲示板に書いていたようですが、事件後、報道の中で出た写真を見ても、イケメンとは言えないかもしれませんが、特別「不細工」なわけでもないと思います。
彼女が出来るチャンスはいくらでもあったと思います。
加藤は、頭が良くて、仕事も有能で、友達も多かったはずなのですが、それでも「孤独」を感じ続けています。
派遣という働き方
加藤が最後に働いていたのは、派遣の自動車工場でした。
200人ほどいる派遣社員が、150人派遣切りにあうのですが、加藤はその中に入っていました。
しかし、彼は仕事ができることとやはり人手が足りないからと、延長してくれと言われます。
派遣切りにあうこと自体は、彼はそれほどショックを受けたわけではないようで、次の派遣先を紹介してもらうことになっていました。
そのため、彼は自分が、まるでいつでも取り換えのきく部品のように感じたようです。
確かに、これは派遣社員としてはあまりいい気持のものではなかったと思います。
しかし、派遣とは、そういうものなのです。
正社員だけでは立ちいかないときに雇われて、いらなくなったら契約期間満了後に終了というのが普通。
途中で切られるのは別ですが、契約期間さえ守られていれば文句はいえないものです。
加藤のように、一旦切られて、やっぱり人が足りないから延長してくれというのは、かなり頭に来ると思いますが、嫌なら断る権利もあります。
派遣社員はもともと「取り換えのきく部品」でしかないのです。
私自身は、そう割り切って派遣の仕事をしてきました。
加藤は、正社員として登用された会社も些細な理由(彼にとっては些細な事ではないとしても)で辞めたり、転々とした多くの職場を突然退職理由を申告せずに辞めています。
辞める理由を会社に告げずに、辞めることで自分の不満を会社にわからせたかったというのが彼の言い分です。
彼は、一体、何になりたかったのでしょうか。
そして、彼がなぜこんな考え方になってしまったのでしょうか。
それには、加藤と母親の関係に大きな原因があるようです。
母親の存在の重要性
加藤の母は、教育やしつけにかなり「厳しい」人だったようです。
本書を読んで私が感じたのは、「厳しい」を通り越して、虐待だったと言っても過言ではないと思いました。
宿題の作文や絵には、必ず母親が手を加えていたようで、加藤自身の言うように、それはもう加藤自身のものではなかったということです。
加藤の母親は、名門校の青森高校を卒業しているのに、高卒であったことがコンプレックスになっており、息子に期待をかけていたようです。
それだけでなく、加藤は食事をするのが遅かったようで、早く片づけをしたい母親は、新聞のチラシの上に食事をぶちまけたものを加藤に食べさせていました。
また、母親は加藤を叱るとき、理由も告げずに、いきなりビンタをしたり怒鳴りつけたりしていたようです。
母親は叱らるときに、理由を聞かせずいきなり叩き、なぜ叱られているかを加藤自身に考えさせていたということなのかもしれません。
本書でははっきり明言はされていませんが、その母親の叱り方が、加藤が理由を言わずに人にキレたり、退職理由を申告せずに職場を放棄してしまう理由になっているのだと思いました。
加藤は不満に思っていることをはっきり言わず、行動でアピールするのです。
また、加藤が自虐的で自分を貶めるようなことを言うのは、床に敷いた新聞のチラシの上で食事をさせられた屈辱から来ているように感じます。
まるで人間扱いされていないではありませんか…。
加藤が犯した犯罪は決して許されるべきことではありませんが、この母親との関係が加藤の考え方に与えた影響はかなり大きいものだと言えます。
私は偶然にも、最近、本や映画で、母親が子供の成長にどれだけ重要かを痛感させられる多くの作品に触れました。
この加藤智大が起こした「秋葉原事件」に関しても、母親の存在が大きく関わっていると思います。
もちろん、同じような生い立ちの人すべてがこのような怖ろしい事件を起こすわけではないと思いますが、やはり子供の基本的なものの考え方には、母親の存在は大きいと感じざるを得ません。
自分の居場所
加藤の犯行動機は、一体何だったのでしょうか。
報道の内容は、派遣切りにあったことと、加藤が頻繁に書き込みをしていたネットの掲示板に自分の「なりすまし」が現れ、荒らされ、自分の書き込みにレスがもらえなくなったこと…となっています。
正直、それだけ聞くと普通は「そんなことくらいで?」と感じますし、私も事件当初、全く理解が出来ませんでした。
しかし、本書を読んで、加藤にとってこの掲示板こそが「自分の居場所」だったことがわかりました。
加藤は、友人にも恵まれていたし、頭もよく、仕事も転々としてはいますが、順調だったようです。
それでも、底知れないほどの「孤独」を感じていたのです。
掲示板で「レスをもらう」ことが、彼にとって唯一の孤独を感じずにいられることだったのかもしれません。
私には、正直、その気持ちはよくわかりません。
だからといって、17人もの人を殺傷する事件を起こす理由になるものなのか…。
この事件を起こすことで、「なりすまし」に思い知らせるつもりだったというのが動機の一つだと言われていますが、私がどう考えても加藤の気持ちがわからないのは、「私自身と母の関係」と「加藤と母の関係」があまりにもかけ離れているからなのかもしれません。
加藤は、裁判では「責任能力あり」と判定されていますが、事件を起こした当時は、精神的に普通の状態ではなかったのではないかと思います。
そうでなければ、どうしても直接には全く恨みのない多くの人々を殺傷してしまったのかが理解できないのです。
しかし、この事件には、多くの若者が共感したということも事実のようです。
最後に
中島岳志著「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」の感想でした。
加藤が起こした事件は、決して許されるべきことではありません。
全く罪のない人々の人生を終わらせ、壊してしまったことは命をもって償っても償い切れないものです。
そして、この事件に共感を持つ若者が多かったのも、考えさせらることのひとつでした。